ラジオ パー(ソナリ)ティー
先日ラジオをyoutubeにて公開した。ようやくである。
思えばpodcast全盛の7,8年前に深夜ラジオだったり、素人ラジオのpodcastを聞いていたころからなんとくいつかは自分もやってみたいなと思ったりはしていた。別番組ではあるが深夜ラジオを聞いていた後輩を捕まえて、webラジオやることを目標に何人かでブログをやったりもしたけど、全然続かない。こういうコーナーをやってとか、こんな企画をって考えるために集まって飲んで翌日には大体すぐに忘れた。私含め、頭の中の辞書に継続という文字はなかった。継続を飛ばして軽率が詰めてた。そりゃ発言も軽はずみになる。
複数人でやるブログは絶賛放置中であり、改めて一人でブログを続けだしたのが昨年。ラジオやるにもサーバがないとなあと思っていたが、世は大YouTuber時代、人気YouTuberがおもしろ動画をこぞって投稿している中、深夜ラジオも(よろしくはないのだろうけど)いっぱいあがってるし、動画プラットフォームに音声だけのコンテンツがあってもいいじゃない、とラジオを配信する場所があることに気がついた。そして自分のいい声にも気がついた。
その後はラジオを挫折した仲間の一人、なんとか太郎と相変わらずこういうコーナーがいい、あれやりたい、と話し合いを重ね、収録を行った。
年末に初めて収録を行った時は壁の薄いカラオケボックスでマイクを使って発言しスマートフォンの録音機能を使った。その時の事前準備のなさと私の財布のなさから、満足の行く収録にはならなかった。何を話すかも決めず、なんとなく「年末なのにあけましておめでとうございます」って言いたいという願望だけが先行して、よくわからない話していた。そもそも一緒に収録する、なんとか太郎が意味不明なことを繰り返すので否定、訂正をしたり本来したい話にするだけで相当な体力を使った。魔物使いってこんな職業だと思う。
そんな反省をいかして(太郎が)台本を作り、(太郎が)ICレコーダーとマイクを用意し成人式で賑わう私の地元カラオケで収録をした。
おっさん二人なのにこんな大部屋でテンションあがってしまって普通にカラオケを初めてしまった。
ひとしきり満足したところでようやく収録となった。今回はきちんとレコーダーがあり、編集もうまいことやってくれたので、しゃべっている途中で終了を告げるインターホンの音に邪魔されるというハプニングもあったが、そこは省いてくれた。
内容については聞いてもらうとして、やってもらいたいコーナーや各コーナーへの投稿も待っている。このブログにコメントを残してもらえれば拾って料理する。
今のところ募集しているコーナーは
・妙に変だなぁ
だけである。
よろしくお願いします。
再生ボタン
余興ウォーズ~記憶の帰還~
余興も方針が見えて安心して飲み会は更けていった。
途中、頑なにアルコールを摂取しなかったサンシャインが帰宅、なんでも子供が産まれたばかりらしい。そりゃ新鮮な子供がいたら家に帰らないとまずい。さらにぺこが翌日仕事があるといって早めに就寝した。こちらがいくら枕をぶつけても動じなかったので、相当な忍耐力を仕事で身につけたのだろうと思う。
そんな盛り上がらNightを経て迎えた朝。山間のコテージは穏やかな日差しが包み、清々しいという形容詞がぴったりだった。ところどころ記憶が曖昧であったものの、いつもの死にたくなるような二日酔いにはなっておらず、誰かが用意してくれた味噌汁を食した。やたらと室伏あたりが「アイハヴァペ~ン」とうるさかった。今さら何を言っているのか、群馬の小学校は流行が遅れてやってくるのかと、哀れみの目で見てしまったこと申し訳ないと感じている。
このテンションの理由はすぐに判明した。春風亭昇太を降臨させた私が、「ピコ太郎もやろうよ」と発言したらしい。もちろん自分がやる気など微塵もないので、誰かやったら面白いのではないかという安易な発言である。そうであってほしい。その後の流れはご察しの通り、ダチョウ倶楽部よろしく「どうぞどうぞ」のお約束からめでたく私がピコ太郎を仰せつかったらしい。記憶っておそろしい。
さらにおそろしいのは、なんだかんだノリノリでPPAPを踊っている私が深夜のコテージにいたことである。撮影された動画を見て崩れ落ちた。これは私ではない。クオリティがひどすぎる。いや、背丈格好クオリティどれをとっても私なのだが、それを認めたくはない。何よりノリノリでそのクオリティを披露している自分がホラーですらあった。アルコールで身を滅ぼすとはこういうことなのだろう。
爽やかな空気が一転、頭の中で魔のPPAPループが続く中、温泉に入り山を下る。仕事だからと早めに寝たぺこも含めて数人で中華料理を食べる。こいつは多分、仕事いかなかった。食後に近所のゲームセンターでメダルゲームに興じていたが永遠メダルが終わらないエンドレスエイトを経由して解散する。余興の打ち合わせが気になっていたのか彦摩呂から連絡が入る。「決まったこと教えてけろ?」参加できなかった人間からすれば、たしかに気になるところではある。しかし彦摩呂は「けろ」などと言うようになってしまったのでひょっとしたらカエルになってしまったのかもしれない。いくらなんでもそれは彦摩呂を意識しすぎだろう。
PERFECT HUMANだと、私がLINEで返答をしようとすると壺が真顔で「彦摩呂の練習しておいて」っていうものだから言われるがまま、その通り伝えてやる。真顔で何を言ってるのかと思ったのだが、これがなんとピコ太郎と同時期に決まった事実であった。欠席裁判もここまでくると清々しい。かわいそうな彦摩呂であるが、これについては私が決めたことではないし、何より、欠席もしてないのに(自分から)ピコ太郎をやることになった私に比べれば、出演時間も衣装も彦摩呂の方が恵まれているだろう。やっぱり可愛そうなのはピコ太郎ことキムラ大魔王である。
それでも、突然彦摩呂を宛てがわれた彦摩呂は(ややこしい)、(LINE上で)わめき出す。重要な役どころすぎる、荷が重い、様々な言い訳が通過していったが、最終的には観念したのか「サンシャインがサンシャインするなら彦摩呂やってもいい」という最大限の譲歩を提案してきた。悪魔的発想。
かくしてメンバーが固唾を飲んで(LINEを)見守る中、サンシャインは全く相手にせずローソンのたぬきがペコリってやってるスタンプを返すだけにとどまった。2017年最大のため息が吐かれた瞬間である。その後、畳み掛けるように「お も て な し」「かわいがり」等、みんなで昔の流行語をやる案が提案される。
「盛り込みすぎるとキムラの結婚式みたいに失敗するぞ。結婚も。」(もなか)
「結婚式の余興と結婚期間は反比例するんだよ。」(彦摩呂)
こいつらは離婚したての私の傷口に塩を塗るスタイルで場を盛り上げたが最終的には以下のような発言によって水疱に帰すことになる。
「余興時間5分だって」(ガンダム)
巻き添えを増やしたいすべての被害者たちの目論見が消え、サンシャインの勝利が確定した。
次回から地獄を形にしていく作業が始まる。
押さなくてもまだ続くと思うけど
年末年始休業のお知らせ(事後)
全く期待されていないが続けてしまっている『余興ウォーズ』の途中ではあるが、新年最初の更新ということで新年のご挨拶と近況報告を手短に済ませようと思う。
軽い感じが2018年、気負わないぞという感じがして自分らしいと思う。
さて、現在正月気分も覚め始めた1月5日。実は連休7日目である。社会人になってこんな長い休みは無職だった時以来なので新鮮である。
仕事納めは29日だった。
といっても前日すでに忘年会があり、仕事納めた同僚が大半の中、同じ気分で飲み進めてたら見事に朝までとなり、完璧な二日酔いの完成。忘年するつもりが翌日の仕事のこと忘れて遅刻した。
遅刻したとはいえ仕事を納めるために出社し、頭を抱えながら睡魔と戦って定時まで生き延びた。つくづく休んでも問題なかったと思う。
そんな仕事納め後は納会なんかが定番なのかもしれないが思われるかもしれないが、先日宣言したラジオの収録があった。収録があったというか、知人1名とあってカラオケボックスに行っただけなのだが。
肝心のラジオについては触れないが、まぁひどいものであり、あと4回くらい収録を重ねないと形にはならないだろう。その会計で自分の財布がないことに気がついた。
2017年2回目。生涯通算4回目。
だが、(心配すらしてないだろうが)安心してほしい。今回は置いてある場所を確実に抑えてある。無くしたわけではなく、忘れただけなのである。盗まれたわけではなく、隠しただけなのである。
会社のデスクに。
こうして10連休初日、滞在時間5分(トイレ含む)の出社から私の年末年始はスタートした。
数時間かけて財布を取って戻ってから、余興ウォーズでおなじみの面々と毎年恒例の焼肉屋で忘年会を行った。昼間開催、車で駆けつけ組多数、飲める立場なのにお酒が弱い人が多い、ということで全力で飲酒するのが私くらいだった。そのせいか何を話したかほとんど覚えていない。その程度の会話だとは思う。
焼肉後に何を思ったか近所のゲームセンターで卓球、メダルゲームに興じて3時間程度が一瞬で消えた。メダルが逆に全然消えなかった。苦行。
もう一軒居酒屋に行って平和に初日が終わった。この流れで毎日報告すると思ったら大間違いなので安心して残り数行を読み進めてもらいたい。
大晦日。初めて弟の息子に会う、自分が俗称としてのおじさんだけでなく、親族としての伯父さんになったことを実感していたら年があけていた。
元旦。おせち。お酒。いい身分。
三が日。箱根駅伝。お酒。いい身分。
4日5日。仕事始めに有給。いい身分。アカスリ、岩盤浴、ロウリュウと贅沢のフルコースを味わったのでこれは別で良さを伝えたいと思っている。
三連休。早くない?仕事が怖い。やな気分。
休み明けからデスクの上になにもないとかいう状態になってないとよいなと祈りつつ、残りわずかとなった連休、相撲協会の今後を案じて過ごすこととする。
何はともあれ、今年もよろしくお願いします。
お年玉付きボタン
余興ウォーズ~笑点の逆襲~
※正直前後関係などは不確かではあるが、それは全く重要ではないし、興味もないだろう。
余興の打ち合わせという名の飲み会がひっそりとはじまった。
1年に1,2回集まるかどうかという関係なので積もる話に花が咲く。(学生時代それが好きという理由だけで命名された)ガンダムが仕事を辞めたという、サプライズを序盤にぶっこんで場を温める。(その後口癖が「無職だから」になってた)ガンダムは今回コテージの手配やら何やらをやってくれた。家が近所なのと「無職だから」らしい。
また、転職したてのサンシャイン(後にこの男が嵐を呼ぶことになるのだが、名前の由来もその時に触れる)が意味不明に5名に対して1枚の名刺を渡した。当然みんな不要なので押し付けあった結果私がスマホケースのポケットにしまわされることになった。罰ゲームである。
(その暴力的な下半身から)壺(と呼ばれる男)は流行りのパパ活に興味津々で道中ひたすらその話をしていたらしいが、飲み会になってもその話をやめることはなかった。ただ主に「やべえやべえ」と小2並の語彙力になっていたので、パパ活の前に九九からやり直したほうがいいのではないかと思った。
(脅威の身体能力という点ではなくどちらかというと顔が似ている)室伏は合宿参加メンバーでは唯一の年下だが、体の大きさは群を抜いていた。高校時代に絶賛お騒がせ中の相撲界からスカウトされたという実績を持つのだが、現在小2の担任をしている教師である。九九を教えている。キロ単位でガンダムが準備した唐揚げがものの数分で1/3に減ったのはこいつの仕業ではないかと思っている。
昔はひたすらにビールだった。メニューなど見る必要なかったし、居酒屋の瓶ビールを全部空けるというEXILEみたいな伝説目指して頑張ったこともあった(その結果数名の命がやるき茶屋のトイレで流された)。
それが今や、尿酸値、血糖値、γ-gtpがやばい、肝臓が腎臓が悲鳴を上げる、とウーロンハイやハイボールばかり、チェイサーは欠かせない。私もいつ爆発するかわからない痛風と生きているが、なぜだろうお酒やめられない。
そんな寿命を縮めて酒を飲むバカをよそ目に、隣の席で酒を飲んで電車で倒れたという体を張ったボケエピソードを披露しながらお茶をちびちびやっていたのが(単純に似ているという理由で今回命名された)春風亭昇太である。落ち着き払っている昇太師匠を見ながら「春風亭昇太に似てるなあ」とボソっと言った。この瞬間余興の方向性が決まった気がする。結果方向性というか出演者か。
その後も飲み会は続き、一応は余興についても話し始めた。結局は踊ることに着地だった。あとは何をやるか。昇太師匠はどこで出てくるか。
無謀にもバブリーダンスを提案する壺が現れた。流行っていればいいというものではない、スキルが圧倒的に足りない。せめて衣装くらい寄せれば踊れてないなりにもウケるかもしれないが、衣装を用意するハードルも恐ろしく高い。
他人の余興動画を見てあーでもないこーでもない言って逡巡していたらRADIOFISHのPERFECT HUMANに行き着いた。1年以上前に流行ったやつだが、踊りはわりと揃えやすそうである。
歌うのは欠席裁判でもなかに任された。事実歌唱力なら一番であるし、暇を持て余してるので練習バッチリだろう。
さらにセンターの中田敦彦役は新郎の(何故かと言われれば全くわからないが)ネギを途中で呼び出すことにした。新郎が参加すればクオリティがどうでもそれなりに盛り上がるというのは先人の知恵であり、私の実体験でもある。
導入に昇太師匠がコメントすれば丸く収まるねと、方針が決まったので安心して飲み直した。
遅れていた(名前が似てるから)りゅうちぇると(ただのバーター)ぺこも仕事帰りに合流し、当日誕生日だった壺にケーキを渡して飲み会は盛り上がりを見せる。
余興の構成はもうバッチリだった。
はずだった。
押したら続く。
余興ウォーズ~新たなる余興~
先日友人の結婚式に出席した。以前触れたけれどそこで余興をやったのだが、それまでのストーリーを何回かに分けて報告しようと思う。
そもそも、学生時代の友人10名程度のグループで結婚式に招待する、余興をやるという文化が根付いたのは大学卒業後2年ほど経った頃からだった。仲間内で一番結婚が早かった男(便宜上、ここでは彦麻呂と呼ぶ)がその後の結婚式文化を築いたわけである。
招待状の封筒の中に入った一欠の紙に「余興よろしく!」の文字。親戚の結婚式以外出席したことなかった我々には未知の世界であった。余興をお願いした割には「脱ぐなどの低俗な行為は禁止」「体をはって盛り上げろ」など細かいオーダーに我々はボイコットまで考えた。しかし、仲間内からよもや結婚できる人間がでるとは思わなかったこともあり、せっかくなので余興を披露した。
余興の内容が決まったのが前日、あらかたの参加者が揃ったのが前日の夜、一人は披露宴に直行という無謀な予定であったが、若さと題材のマッチングもあってとりあえず盛り上がった。ちなみにやったのは大塚愛のさくらんぼにあわせてヲタ芸をするというものだった。
その結婚式以来、余興=踊りみたいなルールができてしまった。ルールというか呪いだろうか。仕事で住む地域がバラバラになってなかなか集まれなくなるし、寄る年波に勝てず体力がなくなり一朝一夕でどうにかできなくなった。めでたい席に苦しめられるなんて。
とはいえ一人二人と結婚していき、残る独身は3人となった。道中、何度か結婚式があってその度に余興が披露されたし、自分の結婚式でも余興をやってもらった。何人か結婚式をやらなかった友人もいたが、マジ神、と崇められた。
そんなわけで多くて残り3回の余興で何をやるか、初めての余興から10年近くたった中年たちは田舎のコテージにて合宿をすることとなった。合宿の日程調整は結婚式の2ヶ月前から行われた。結局都合がついたのは3週間前だった。それでも全員集まることはできず、参加者11人のうち9人が集まることになった。田舎のコテージで合宿なんてアルバム収録のアーティストみたいだと思わずにはいられない。
不参加の2名を紹介しておくと、もなかとチョコチップである。(伊豆名物「猪最中(いのししもなか)」の看板を見かけて「いのししさいちゅうだって!おもしれえ!」と無邪気にはしゃいていたことに由来する)もなかは家業が忙しいらしく不参加となり、(チョコチップが顔についていることから命名された)チョコチップは青森に婿に行ったためそもそもぶっつけ本番だった。
それでも9人集まればある程度の方向性、ある程度の練習、ある程度の時間など決まる。はずだった。。。
数日前から(体重の増減が激しく最重量の時にはそっくりだったことから呼ばれるようになった)彦麻呂が来れるか怪しくなった発言を繰り返しており(行けたら行く)、もはや誰一人来ると思っていなかった。つまり全員で8人だが、仕事の都合などで夜遅くなってから参加するメンバーもいたこともあり、6人集まったところで開始した。
飲み会を。
押したら続く。
鶴の一声
人から褒められることなど滅多にない人生を送ってきた。
小学1年生のころに、どうにも褒めるところがない人間を対象にした「よいおこないをしている」賞状をもらったことがあるくらい。
あと、最近友人の結婚式で1年遅れのピコ太郎のものまねをしたところ「いいよ(苦笑)」と褒められた。これは後日気が乗ったら詳細と画像を公開しようと思う。今のところ公開するか後悔するか半々である。
たまたま乗った深夜のタクシーで褒められたのは声だ。私の体の内から発せられる、声だ。
声にいいも悪いもあるのかと不思議だったが、たしかにええ声芸人でアメトーークやってたし、ショーンK(ホラッチョ)さんの声はいいなあと思っていたので、なるほど、いい声かと納得した。
そしてこれからはいい声を売りにしていこうと心に決めたのだ。たった一人、深夜のタクシーで褒められただけだけど。あのタクシー運転手が酔っ払って適当なことを言っていない限り、私はこれを心の拠り所としてこれから生きていく。運転手は頼んだ通り目的地まで運んでくれたし、酔っぱらいではないだろう。運転してたし。
さて、いい声を活かすとはどんなことをすればいいのだろうか。声を生業にするといえば、声優、ナレーター、車掌あたりだろうか。この時点で色々と世の中を舐め腐っていると思われるかもしれないが、決してそんなことない。
ただ私が自分のいい声にもっと早く気づいていれば、あの人きっとエロサイトみているのよ、なんて陰口を叩かれながら働くこともなかったのかもしれないなと思っただけである。今からどうこうなるとは思っていない。
サラリーマンである私がいい声を活かすには、業務上でしかない。言葉よりもキーボードでコミュニケーションをよくとる人間が言葉を活かすなんてできるのだろうか。長い通勤時間を使って考えてみた。
挨拶をする
社会性の基本である挨拶。どんなに口数の少ない人でも挨拶くらいはするというものである。いい声で挨拶をするということはそれだけいい声をアピールすることにつながり、なんかどういうわけか好印象を与えて、掃除のおじちゃんの振りした会長に引き上げられるサクセスストーリーしか思い浮かばない。
ただ、人見知りの自分は挨拶すると言ってもボソボソっとしか言わないのでいい声が活かせないのではないだろうか。むしろボソボソっといい声の挨拶は逆にボソボソっとが強調されて逆効果なのではだろうか。掃除のおじちゃんの振りした会長に掃除のおじちゃんのまま、正体も表さず怒られるバッドエンドしか考えられなくなった。いい声を活かす前にボソボソっとの挨拶を矯正する必要がある。
謝罪をする
会社員の必殺技といえば名刺、ネクタイ、謝罪だろう。異論は認める、自分が会社員として未熟だからである。クライアント、ユーザー、上司、、、、会社員には謝罪をすべき相手がゴマンといる。
謝罪がいい声だと怒りもスーっと収まるだろうし、むしろ自分が悪いことをしているのではと錯覚するかもしれない。あまりにいい声で謝るものだから様々な謝罪の現場で重宝され、唯一無二の存在となり出世していく近未来が見える。
が、そもそも謝ってばかりいるやつって仕事できないだろうし、いつしか「謝ってすむ問題じゃない」問題に直面して会社辞めるか、退職するか選ばされるんだろう。
歌う
考えておいてなんだけど、会社で歌うやついたら邪魔でしかないから出て行って欲しい。そもそも私はいい声だけど歌は致命的に下手である。
乾杯の発声
忘年会シーズン真っ盛り。乾杯の音頭はお任せを。普通乾杯は偉い人がやるものなので必然的に偉くならないといけないので、出世コースにゲートイン。
ただ呼ばれないと必要性もなくなるので諸刃の剣。
考えては見たけれどこれではダメだ。ラジオだラジオ。
何年か越しのラジオやりたい欲が再燃してきた。伊達に長い通勤時間深夜ラジオばかりきいてない。昔はやりかたがよくわからなかったが、時代はyoutuber、顔出すのは恥ずかしいが声のみ音声をyoutubeにUPするだけで発信できる。あなたもわたしもyoutuber。
年明けあたりにはやっていたいと思うのでどうぞよろしく。
余興でピコ太郎をやったので、PPAPの再生数の1億分の1くらいは再生されたい。
健康の階段登る 僕はまだ痛風発症前
先日伝えた健康診断の結果をうけていよいよ持って病院に行ってきた。
周りには紹介状なんて何年も集め続けてるぜという猛者もいるが、根が鳥(チキン)な私は年を越すことがどうしてもできなかった。
診断結果から2ヶ月半、その間皮膚科、眼科、歯科、ガタがきている体を徐々にメンテナンスし始めてようやく、本丸の内蔵にたどり着いた。
実際他にも頭とか、顔とか性格とかタイミングとか悪いものはいっぱいあるのだけれど。
内科の先生は理解のある人で、健康診断が9月上旬だったこともあり
・夏だから飲みすぎちゃったんでしょ
・遺伝もあるよ
・クスリなんて飲んでられないよね
という誘導尋問を繰り出した。私もつい、結果受けて食生活含め生活改善してるんですって言ってしまった。見栄はっちゃった。
そんな私の強がりを知ってか知らずか。毎月通院されるのが迷惑なのか。
医者はとりあえず期間が開いてるし、生活改善頑張ってるようなのでもう一度検査しようといって血を抜いていった。
血だけ抜かれて私の初紹介状持参診療は終わった。5000円の価値がある紹介状を使って1500円くらいのお金を払って帰った。結果は数日後とのことだった。
ここでおさらいしておくと
4.0~7.0mg/dlが正常の範囲らしいのだけれど(単位はわからない)私の叩き出した数値は9.0mg/dl位であった。
医者曰く、8.5mg/dl以上だと即クスリらしい。いつ痛風になってもおかしくないのだ。
2ヶ月の生活改善の頑張りを見せてみよ、というわけで検査結果を受け取ると
8.3mg/dl
下がった!クスリも飲まなくて済む!けど微妙・・・。
ドクターにも引き続き食べ物、飲み物気をつけて、また健康診断で引っかかったり、痛風の症状が出たらおいでって言われた。それは遅くないか。
こんなことならクスリ飲み続けるからビール飲ませてくれって言ったほうがよかったかもしれない。
本当に不健康自慢したくなるんだな、年取ると。