山も谷もない30後半Webディレクターの手日記

気が付いたら40の背中が見えるようになってきた、バツイチwebディレクターの仕事にほとんど関係ない、日常のことを綴ったり綴らなかったりするブログ

夏休みの宿題

学生は夏休み突入。山に川に海に繰り出し、夢に希望に恋に溺れていくのだろう。おかげで通勤電車はちょっと空いてるような気がして、助かる。汗ダラダラの中年がすし詰めの動く箱なんて危険物以外の何物でもない。

学生の夏休みといえば楽しいことばかりでない。宿題というモンスターが行列を成している。宿題から今大人気のアイドル、それが学生である。行列のできる学生は、握手やツーショット撮影ではなく、ドリルや読書感想文を淡々とこなしていくのである。

今時の夏休みはどんなもんかわからないが、私が小中学生だったころの夏休みは7月20日頃から8月末まで40日程度が夏休みだった。
そして今時の子どもたちがどんなもんか知らないが、私は宿題を8月末にやる子どもだった。たまに9月に入って学校が始まってからやるクズだった。

ドリルなんかは楽だった。今流行りのうんこドリルだったらもっと早くにやる気がでた自信があるが、答えがついていて、丸つけまで自分でした状態で提出だった。勉強熱心な家庭などは親に解答が隠されることもあったが、放任主義の我が家はそのようなことも起きず、私のドリル消化スピードは年々早くなっていった。ドリルとは写経みたいなものである、というのが20年ほど前の私の持論だった。その後の人生において役に立ったことはないが、かといってドリルを真面目にやらなかったことでそこまで大げさな後悔もしていない。もっと大きな後悔をたくさんしたからだ。

スライム程度の経験値しかもらえない(倒し方しか知らない)ドリルを片付けたら、低学年であれば絵日記、学年があがるとポスターを描くという宿題にぶち当たる。絵心というスキルは母親の胎盤においてきた私は絵を描くのが苦手だった。ある意味一番手強い。文房具屋へ画用紙を買いにいくの1週間、下書きに1週間、絵の具を学校に忘れたことに気づいて取りに行くのに1週間、塗るのに1週間かかった。考えたらこれ夏休みじゃなくて創作活動である。編集者に軟禁される作家だろうか。

実質ラスボスとでもいうべき絵の宿題を片付けたと思ったら、工作の宿題もあった。手先の器用さを受精卵の細胞分裂の際に紛失してしまった私は、ミニ四駆だって組み立てられなかった。私が神なら、人間なんか創れない、粘土捏ねても命吹き込まれない。小学生のころはよく貯金箱を作らされた思い出がある。お題がそうなっていたのかは不明だが、毎年弁当の箱や発泡スチロール箱などを適当にいじって貯金箱ってことにして提出していた。

中学になると貯金箱を作ってこいという宿題ではなく、発明工夫なんて大仰な名前の工作の宿題になった。ただ、ものを作らなくても、発明品の設計図(なんて大げさなものではないが)と説明の紙だけでもよかった。私は靴の中に10円玉を入れると脱臭効果とツボ刺激の効果が得られるという、縄文人でも知ってそうな知識を発明工夫の宿題として提出した。

翌年、案の定何もやる気が起きないまま、私の夏休みは終わり、2学期最初の技術の授業、宿題の提出が迫っていた。クラスメイトは面倒くさそうながら、へんてこりんなロボットだとか持ち寄っていた。自分が何も用意していないことを告げると、同じグループの井口くんが「昔テレビで素人発明家がこんなん紹介してた」と説明文と設計図を書いてくれた。私はありがたくその紙を提出した。

後日技術の担当教員に呼び出され私は、やっつけだし盗作だしの宿題を叱られるのを覚悟したのだが、教員は「これ画期的だから実際作ってもってこい。市のコンクールに出展するから」といい出した。

当時の私はとりあえず叱られなかったことに安堵しつつ、実物を作らされる羽目になった。私が作ったものなど残っていないので、検索してみたら普通に商品化されていたので先に紹介しておく。

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私はこんな立派なものは作れないので、シャンプーの先っちょから曲がるストローを切って組み合わせて、どうにかヘッドの上に出口が来るようなものを提出した。片手でシャンプーが出せたら便利だなという発想で(誰かが)作った作品である。はっきり言って、幼稚園児がわくわくさんの工作を見よう見まねで真似して出来上がったレベルの代物だった。

提出するのも恥ずかしかったが、これで宿題提出したことになるのであれば儲けものと思っていたら、突然朝礼で表彰されてしまった。まさかと思ったのだが、市の選考でいいところまで行ってしまったらしい。賞状などもらったこともない子どもだった私が、急に全校生徒の前で賞状と盾を受け取ってしまった。しかも、TV番組で紹介されていた企画を、友人に教えてもらって、である。いつ目の前の校長がテッテレーと言い出すのか、いつ警察が袖から飛び出してくるのか、頭はパニック、体中から汗噴出、膝はガクガクだったが、何事もなく朝礼は終わった。井口くんは何も言わなかった。

自宅では賞状などもらったことのない息子の快挙に大喜びだった。口癖が生きててすいません、生まれて初めて発した言葉が、産まれてきてすいませんの私は両親が喜んでいる過ごしている姿をみて何も言えなかった。

高校野球のように市を勝ち上がると次は県の戦いになる。私は市の代表としてなのかよくわからないが、県の表彰式に招待された。張り切った両親に親戚の結婚式にでも出るのかよという一張羅を無理やり着させられ、どんな催しかも一切知らずに会場にいった。

会場にはわれこそはエジソンの生まれ変わりなりという学生や、コロ助が一緒にいないだけのキテレツがゴロゴロといた。私は少しでも賢そうに見えるためにないメガネをクイクイ上げていた。いよいよ表彰になったのだが、私など全く呼ばれることなく、会は終わった。ちびまる子ちゃんでいうと縦線が顔にも背景にもかかり、どんよりした空気に包まれていたであろう、ひょうきんな衣装に身を包んだ中学生はこの辺からいよいよ本格的に何かをこじらせて人生という迷路に入っていくことになる。

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