山も谷もない30後半Webディレクターの手日記

気が付いたら40の背中が見えるようになってきた、バツイチwebディレクターの仕事にほとんど関係ない、日常のことを綴ったり綴らなかったりするブログ

墓参りの時でも迷惑をかける孫

先月の秋分の日前後、世間的にもお彼岸ということで法事以外では初めて墓参りに行ってきた。田舎の山間にひっそりとある小さな墓地である。

 

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小さい頃、祖父母が健在だった時、顔も知らぬ先祖や親戚たちの墓参りをした記憶はほぼなく、現在も墓参りは祖父母の墓参りという意味合いで行っている。
墓には他にも仲間がいっぱいいるのにである。
これは子供の頃、祖父母の家にあそびに行くことを「おばあちゃん家にいく」と言っていたことに近い。
お小遣いをくれるのはだいたい祖母だったからそう呼んでいたのだと思う。
この時の祖父の気持ちを考えると申し訳無さでドルマークになった目から涙が止まらない。

 

ただ、祖父母の家には仏壇があった。
仏壇はお墓ではないが、先祖を祀るものでお経を唱えている祖父の真似事をよくしたものである。


今回久しぶりの墓参りで、自分の参拝スタンスに気付かされたので記す。

 

私は仏壇にしろ、墓参りにしろ、お参りという動作を行っている最中、口にこそ出さないがこんなことを考えていた。

 

「(サッカーで)点が取れますように」
「成績があがりますように」
「健康でありますように」
「出世しますように」

 

子供の頃から大人に至るまで、もれなく、こんな願い事をしてた。

 

熱心にお参りするねえと親戚のおばあさんなんかに言われたこともあった気がする。お参りというよりは、お願い、神頼みである。
先祖が神になった瞬間である。

 

久しぶりに顔を見せに孫がやってきたと思えば、健康を欲す。生前、お小遣い欲しさにやってきた孫と対してかわらないとも言える。
健康を望んだって、いつ病気になるや、事故にあうやわからないこの世の中、先祖がどんなことをしてくれるのか甚だ疑問ではあるが、想像するに体の内側でウィルスと戦ったり、外側で身に振る火の粉払ったりするんだろう。私はスタンド使いか。

 

先祖のことを神だの、スタンドだのと、随分罰当たりなことを言っている気もするが、昨今のソーシャルゲームの「神属性」「神タイプ」のような「神大安売り」も手伝って受け入れられると思う。
「おじいちゃん」がモンスターストライクに出てくるのも時間の問題かもしれない。

 

一番罰当たりである。

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