山も谷もない30後半Webディレクターの手日記

気が付いたら40の背中が見えるようになってきた、バツイチwebディレクターの仕事にほとんど関係ない、日常のことを綴ったり綴らなかったりするブログ

思春期に乳首が痛いと父親に相談した話

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目立った反抗期のない思春期だった。
ジャンプを母親に買ってこさせたり、壁に穴を開けたりしたことはない。壁が硬かったのと、わたしが非力なことも要因の一つかも知れないが。

 

父親には思春期特有の第二次性徴の相談なんかもしていた。

 

具体的に言うと、乳首が痛いと相談をしたことがある。

 

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私には産まれたときから、見ても一向に興奮しないのに乳首という 会社の自分みたいに役に立たない部品が体についている。

中学2年生くらいのあるとき、乳首の内側にしこりがあることに気がついた。
気になりだすといじりたくなるのが人情というもので、家でも学校でも、暇さえあれば乳首をコリコリしていたものである。

私の乳首が初めて役割を持った瞬間である。
今で言うところのハンドスピナーの位置づけに乳首がなるにつれ、しこりはその存在感をまし、若干の肥大化を続けていた。

 

中学生の当時、私はスラムダンクに影響されたバスケットボール部に入部した。それまで5年間続けていたサッカーをレギュラーが取れなそうだしとあっさり裏切って入部した。
サッカーのレギュラー11人に対してバスケットボール5人、当時から算数は苦手だった。

 

乳首のしこりはバスケットボールに大きな影響を与えることになる。

バスケットボールのパスの基本は相手の胸をめがけてボールを送る動作からチェストパスというのだが、手のひらで取り損なうと胸に直撃する。

ゴール下は戦場だという言葉があるが、低身長でゴール下に行くこともなけいのに、相手と接触することもないのに、味方からのパスで、私は戦場に散った(死因・乳首爆発)。

 

そんなことがあって、父親に相談をした。

父親は気持ち悪がらず話を聞いてから、自分の若い頃なったとカミングアウトしてきた。父親の話から聞いたこの症状の概要が以下である。

 

思春期に起こりがち、そのうちなくなる、白い液体が出ることもある。

 

友人にも共有していたが、最初なかなか理解されなかった。算数どころか保健体育も知らないんだな、わけの分からないことばかり言いやがって、と思われていたろう。

私自身、父親を信じれなくなるわ、自分の乳首を呪うわ、散々な生活を送った。


しかし数ヶ月後、友人のうちの一人がこっそりと、自分も発症したと伝えてきた。
そこでようやく父親信頼は回復し、乳首は生存することが決まった。奈美悦子には申し訳ない。

 

友人と私はこの症状を「ちくつう(乳首痛)」と呼んで、できるだけ優しくパスし合っていた。他のやつらも発症しろと呪ったものの、悲鳴は聞こえてこなかった。いつしかしこりと痛みはなくなっていった。

 

後になって調べてみたら、思春期乳腺肥大症と呼ばれ、男子中学生の何割かに起こるということでいろいろ納得したんだけど、白い液体は一切出なかった。

 

今思えばそれっておちんちんからでるやつじゃないかな。

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