飽くなき手帳へのあこがれとただの自己アピール
早いもので2017年も残すところあと僅か。師走というだけあって、右を見ても左をみても忙しそうにしている。
毎年この時期にやってくる自分の誕生日が申し訳なくてたまらない。みんな忙しいからお祝いをしてくれないのを、私自身気にしていないのに、悪いなぁと思わせてしまっているのが心苦しいのだ。
年の切り替わりということで手帳を購入した。はてなブログのトップページに手帳カテゴリがずっと乗ってていくつかの手帳の紹介を見ていて、ほしいなぁと思ったので購入してしまった。
私のデイリーユースのリュックの中には2015年の手帳が9割白紙で鎮座していた。用途も、社会人のくせしてメモできるものも持ってないのか、と言われた時の対策として開くためのもので、ドラマの小道具と同じ位置づけだった。
もともと刑事に憧れていていつ聞き込みに向かってもいいように購入したわけではないのだが、デジタルとアナログ、仕事とプライベートの切り分けができていない中途半端人間の私にはそれ以上の働きはできなかった。
今回こそはと、最近物忘れが激しくバッティングが続いた飲み会の予定だけでもスムーズに調整できたらと、高機能ではないぼちぼちの値段の手帳を購入した。
2年ぶりの手帳である。2年ぶりであるが、何回目だろう。正直なところ2年前が初めての手帳失敗ではなかったのは確実である。
過去のブログを漁ってみた。
文章の内容がひどいのはさておき、一番古い手帳への言及は2006年末。2007年の手帳を買ったことのようだ。
ついでに小学生のころ、高校生の頃、大学生の頃、それぞれ手帳を買っては本来的な使い方をできなかったことを面白おかしく伝えている。実に愉快だ。
2007年は本格的に(2回目の)就職活動をしていた時期なのでそれに備えて買っていたと思うのだが、面接が本格化する春先にはどこかに行ったような気がする。その甲斐あって、入社半年で潰れる会社に就職することができた。本当に手帳さまさまである。
その後入社した会社が潰れた翌年の2009年の手帳も買っている。2年ぶりである。
スタートダッシュに出遅れたものの、4月始まりという夢の手帳の存在をしり、手を伸ばしたようだ。
ブログのネタ帳にすると息巻いていたものの、当のブログを放置するのだから手帳も放置したのだろう。実に若気の至りである。
というわけで未成年の頃は覚えていないものの、就職活動の頃から数えて2007年、2009年、2015年と手帳に挑戦していた。今回も続かないかもしれないし、続かなくても仕方ないと思っている。無印良品の実にシンプルな1000円程度の手帳にしたので、挫折したとしてもそれは流行りが過ぎただけのことと心に言い訳ができる。
とりあえず、大切な日を忘れないよう、来月の6日に印を付けた。私と市川海老蔵の誕生日である。よかったらみんなの手帳やスマホのカレンダーにも入れておいてほしい。
私と(7年前の11月に暴行された)市川海老蔵の誕生日である。血液型と、当たり前だが星座が一緒の市川海老蔵の誕生日である。あちらは成田屋の御曹司、こちらは気分屋のせがれである。