山も谷もない30後半Webディレクターの手日記

気が付いたら40の背中が見えるようになってきた、バツイチwebディレクターの仕事にほとんど関係ない、日常のことを綴ったり綴らなかったりするブログ

鶴の一声

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人から褒められることなど滅多にない人生を送ってきた。
小学1年生のころに、どうにも褒めるところがない人間を対象にした「よいおこないをしている」賞状をもらったことがあるくらい。

あと、最近友人の結婚式で1年遅れのピコ太郎のものまねをしたところ「いいよ(苦笑)」と褒められた。これは後日気が乗ったら詳細と画像を公開しようと思う。今のところ公開するか後悔するか半々である。

 

たまたま乗った深夜のタクシーで褒められたのは声だ。私の体の内から発せられる、声だ。
声にいいも悪いもあるのかと不思議だったが、たしかにええ声芸人でアメトーークやってたし、ショーンK(ホラッチョ)さんの声はいいなあと思っていたので、なるほど、いい声かと納得した。

 

そしてこれからはいい声を売りにしていこうと心に決めたのだ。たった一人、深夜のタクシーで褒められただけだけど。あのタクシー運転手が酔っ払って適当なことを言っていない限り、私はこれを心の拠り所としてこれから生きていく。運転手は頼んだ通り目的地まで運んでくれたし、酔っぱらいではないだろう。運転してたし。

 

さて、いい声を活かすとはどんなことをすればいいのだろうか。声を生業にするといえば、声優、ナレーター、車掌あたりだろうか。この時点で色々と世の中を舐め腐っていると思われるかもしれないが、決してそんなことない。

ただ私が自分のいい声にもっと早く気づいていれば、あの人きっとエロサイトみているのよ、なんて陰口を叩かれながら働くこともなかったのかもしれないなと思っただけである。今からどうこうなるとは思っていない。

 

サラリーマンである私がいい声を活かすには、業務上でしかない。言葉よりもキーボードでコミュニケーションをよくとる人間が言葉を活かすなんてできるのだろうか。長い通勤時間を使って考えてみた。

 

挨拶をする

社会性の基本である挨拶。どんなに口数の少ない人でも挨拶くらいはするというものである。いい声で挨拶をするということはそれだけいい声をアピールすることにつながり、なんかどういうわけか好印象を与えて、掃除のおじちゃんの振りした会長に引き上げられるサクセスストーリーしか思い浮かばない。
ただ、人見知りの自分は挨拶すると言ってもボソボソっとしか言わないのでいい声が活かせないのではないだろうか。むしろボソボソっといい声の挨拶は逆にボソボソっとが強調されて逆効果なのではだろうか。掃除のおじちゃんの振りした会長に掃除のおじちゃんのまま、正体も表さず怒られるバッドエンドしか考えられなくなった。いい声を活かす前にボソボソっとの挨拶を矯正する必要がある。


謝罪をする

 

会社員の必殺技といえば名刺、ネクタイ、謝罪だろう。異論は認める、自分が会社員として未熟だからである。クライアント、ユーザー、上司、、、、会社員には謝罪をすべき相手がゴマンといる。
謝罪がいい声だと怒りもスーっと収まるだろうし、むしろ自分が悪いことをしているのではと錯覚するかもしれない。あまりにいい声で謝るものだから様々な謝罪の現場で重宝され、唯一無二の存在となり出世していく近未来が見える。
が、そもそも謝ってばかりいるやつって仕事できないだろうし、いつしか「謝ってすむ問題じゃない」問題に直面して会社辞めるか、退職するか選ばされるんだろう。

 

歌う

 

考えておいてなんだけど、会社で歌うやついたら邪魔でしかないから出て行って欲しい。そもそも私はいい声だけど歌は致命的に下手である。

 

乾杯の発声

 

忘年会シーズン真っ盛り。乾杯の音頭はお任せを。普通乾杯は偉い人がやるものなので必然的に偉くならないといけないので、出世コースにゲートイン。
ただ呼ばれないと必要性もなくなるので諸刃の剣。


考えては見たけれどこれではダメだ。ラジオだラジオ。

何年か越しのラジオやりたい欲が再燃してきた。伊達に長い通勤時間深夜ラジオばかりきいてない。昔はやりかたがよくわからなかったが、時代はyoutuber、顔出すのは恥ずかしいが声のみ音声をyoutubeにUPするだけで発信できる。あなたもわたしもyoutuber。

年明けあたりにはやっていたいと思うのでどうぞよろしく。

余興でピコ太郎をやったので、PPAPの再生数の1億分の1くらいは再生されたい。

  

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