山も谷もない30後半Webディレクターの手日記

気が付いたら40の背中が見えるようになってきた、バツイチwebディレクターの仕事にほとんど関係ない、日常のことを綴ったり綴らなかったりするブログ

娘とトイレと私

 

離れて暮らす二歳半の娘と月に1,2回程度会っている。

一緒に暮らしていないにしろ、私の娘だなあと思う言動があったり、かわいいなあと思うことがあったりするので、娘の成長記録として肖像権の関係で画像はないがその言動を記録しておこうと思う。

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美しい親の愛のつもりだが、娘が物心ついた頃、この存在がバレて削除希望が来たら即刻消す覚悟は持っている。芋づる式に私の言動が丸わかりになってしまうので、即刻消える覚悟も持とう。

 

私の娘はひょっとしたらトイレが好きかもしれない。こんなところが親に似なくてもいいじゃないかと遺伝子を呪った。

 

去年、トレーニングパンツ?という上級オムツを履き始めて自らの意思でトイレに行くようになっていた娘と、二人でやや大きめな公園、こじんまりとした動物園といった中途半端な園に行ったときのことである。

フライドポテトばかりの昼食を終えた後――娘はフライドポテトが好きでポテトを食べると毎回マイナススタートの父親ポイントが上昇する――ひとしきり芝生の上を走り回てからトイレに行きたいとアピールしてきた。しっこだかちっちだかちょろちょろだかと言っていた。

 

私は困惑した。おむつ交換ですら生後半年と経たないうちに戦力外通告、お風呂に入れるなんて首が座る前に1,2回レベル、戸籍的に夫をリストラされた男が、娘をトイレに連れていき用を足させるって漢検1級に匹敵する難易度である。

しかし娘が今頼れるのは私だけ、「公園はおおっきなトイレだ!」なんて教えた日には将来が心配すぎる、パニックになりながらも近くの子供トイレに並ぶ。

 

子供向けの園ということで子供トイレはすごかった。子供トイレという名称が適切かどうかはわからないのだが、おむつ交換台、洗面所、もちろん便器がある。便器があるのだが、大人用と子供用があった。

便器に子供がいたと驚きつつも、落ちる心配があまりなさそうで助かったと娘を子供便器へ座らせる。同時に自分も催して来たので大人便器に座って娘と一緒に用を足していると、「ちんちん」と娘が言い出した。「パパのちんちん」とも言った。

 

元嫁になんて言われるかわかったもんじゃないので、なるべく自分の局部が娘には見えないようにズボンを下ろし、素早く大人便器に座ったつもりだったのに。

しかもいやに嬉しそうに「ちんちん」と唱えている。

もしかしたらみんなが知っている「ちんちん」とは違う、アニメのキャラクターでもいるのではと思ったが、そんなアニメがあったらPTAが黙っていない。

それに「パパのちんちん」ということなのは、私の一部、私の所有物、私から生えている、「ちんちん」という物体。なんのことだろう。

 

今にして冷静に思い返すと、今こうやって文章にしている行為含めて、気持ち悪い。これで血の繋がりがなければ犯罪だし、血の繋がりがあっても、戸籍のつながりはないので控え目に言ってアウト。

ただ、それ以来、娘をトイレに連れて行くのも慣れたものである。子供便器がないところだって用を足させることができるようになった。単純に父親として目を細めている。

 

子供というのはボタンを押したりレバーを引いたりするのが無駄に好きな生き物である。


用を足すと「ジャーは?」としきりに水洗をしたがる。家ではレバーを回す当番でもやっているのだろう。私が用をさせてもトイレの水洗レバーの場所を確認してくる。教えてやると嬉しそうにレバーをひねる。


最近ではウォシュレットのリモコンにボタンがついていることもあるので、そのボタンも押させてやる。


そして最新便器では離れると勝手に流れるものまで登場している。娘は残念がるかと思いきや「頭のいいトイレだね」と褒めていた。人間て最初はここまでピュアなのかと目頭が熱くなった。

 

恥ずかしくなった上にこんな文章を残してしまう父親のことを、ボタン一つで流し去ってしまう日が来るのかもしれない。

 

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