山も谷もない30後半Webディレクターの手日記

気が付いたら40の背中が見えるようになってきた、バツイチwebディレクターの仕事にほとんど関係ない、日常のことを綴ったり綴らなかったりするブログ

甥っ子狂騒曲

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何にもないと言った舌の根も乾かぬうちに申し訳ないのだが(このブログでは翌日は奇跡である)、いや謝る必要もないのだが(私はすいませんが口癖である)、年末年始の帰省で甥っ子と会うというイベントがあった。

 

甥っ子は1歳そこそこという経歴で、前回あったのは1歳ちょうどの晴れ舞台だった。当時はつかまり立ちがやっとで移動手段はもっぱら四つん這いになって動くくらいだったのだが、すっかり大きくなり二足歩行で家の中を所狭しと歩き回っていた。特に台所が気になるようで台所に入っては誰かに連れ戻されていた。台所にエロ本でも落ちてたんだろうか。コントのようだった。

 

まだ意味のわかる会話は出来ないが何かしらの言葉を発するようになっていた。知能レベルが幼児と一緒で脳みそが柔らかければ会話ができるのかもしれないが、私は辛うじて3歳児レベルだったので会話は成立しなかった。

 

それにしても一歳児を中心にして(私から見て)90近い祖父母も還暦の両親も親戚の叔父叔母も振り回されていた。甥っ子が泣く度、笑う度、うんこする度、なんらかのリアクションをとっていた。新喜劇かよ。思えば私の娘はほぼ親戚の衆目を集める事なく、私の親権が真剣になくなってしまったため、こういう機会が初めてだった。かわいそうなことをしたと思っている。

 

すっかり足腰も弱くなり表情もなくなりかけている祖父も、幼児を前にすると笑顔になるし、よくしゃべる。誰の子かはわからないかもしれないけれど、正月に会うなりポチ袋に入れもせず裸の日本銀行券を渡していた。思わず私も身構えていたが、30半ばのバツイチ中年はデイサービスの職員に間違えられて終わった。

 

今でこそ3歳となった娘とたまにだが会うときは会話もできるしお菓子を中心によく食べるのだが、幼児の頃極端に接していないので接し方に困る。声のトーンをこれでもかと上げて「~でちゅ」とかすごいうらやましい。歌を歌ったりとか音痴な自分には、たとえ難易度の低そうなABCの歌であろうがとても考えられない。決して素直に子供に接することができる大人を斜めにみてバカにしているとかは一切ない。むしろそれができなくて親権がはく奪されたという面もあったりする。

 

幼児と接する自分を客観的に見てしまうのが原因だろうか。ちょっと前の総理大臣みたい。あなたとは違うんです

 

客観的に見て、私なんかが、希望に満ち溢れた、一族の期待を一身に集める甥っ子に対して、上から目線で話しかけたらバカにしてるのか!って物心ついたら怒られそうなんだ。あの時は抱っこされてやったけど、これからはお前ら世代を支えなきゃなんねえんだよ、ってよくある年金の絵を片手に怒鳴り散らされそう。そんな不安を抱えているので話しかける言葉は「どうも」ばかり、抱っこするよりは並んで座り、風呂には先に入っていただく。そんな生活を送っていたので、年金はもらいたい。

 

そういえば娘と二人で電車に乗った際に、「座りたい!」とアピールをした娘に席を譲ってもらった車内でテンパっていて、駅に着くたび降りるのか聞いてくる娘に対して、「まだです」「おりますよ」と敬語で接していた時は驚いた。テンパってるとか全然客観的に見れてない。

 

娘っていうかお嬢と執事みたいな感じか。親権ないし。

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