山も谷もない30後半Webディレクターの手日記

気が付いたら40の背中が見えるようになってきた、バツイチwebディレクターの仕事にほとんど関係ない、日常のことを綴ったり綴らなかったりするブログ

枝豆の育成(から一生ものを育てられないと悟った)日記

f:id:kimura_evkitty:20211013201238p:plain

毎日日記かくってブログかよ

今年の8月からペットボトルで育てるおつまみ枝豆というものを育てていた。ちょうど夏休み時期ということもあって、発芽から収穫までの全記録を絵日記にして公開しようと思ったが、私は小学生でもないし、夏休みに宿題はおろか、目立った休みがそもそもない、いい大人であったので、残念ながら絵日記は封印した。作物を育てる苦労というものを少し感じられたので、今日もお百姓さんに感謝しながら米を食らっている。

 

 

 

8月から育て始めたが、購入したのはもっとずっと前だった。たしか驚安の殿堂、ドン・キホーテに行ったものの、何も買うものがなかったのでこれだけ買って帰ったような気がする。私にとってのドン・キホーテはいつも非日常、何か買わないといけない気になる迷惑な店である。

 

あまり季節に左右されることはないらしいのだが、冬に育てるとあまり育たなそうと思い放置、かろうじてゴミ箱に入れられることはなかったが引っ越しに際してようやく生存が確認された。何しにドン・キホーテに行っているのかとつくづく思った。

 

というわけで引っ越しついでに栽培を始める。ペットボトルのキャップ部分に装着した脱脂綿に乾燥した丸っこい豆を載せ、水を与える。数日で芽が出てひょろひょろっと伸びた。同時にペットボトル方面に根も伸びていき、こんなもんで植物が育つのかと感動した。冒頭の通り絵日記ではないにしろ観察の記録として写真でも撮ろうと思っていたのだが、水を変えたり枝豆の成長を目の当たりにしていると写真のことなど全く頭にないのである。写真には写らない美しさがあるから。

 

というわけで成長の過程の映像は一切なく、残っているのはこのページに表示されている画像のみである。収穫後と死亡後である。私の記憶を頼りに枝豆との2か月を振り返っていく。

 

ペットボトルに根を漂わせた枝豆は、最初の丸っこい豆がいつのまにか頂点になり、豆が割れて葉がでてきた。いいかい、豆は割れると葉になるんだ。あなたが食べているその枝豆、豆を食べてるつもりが、実は葉を食べているわけである。ああ、漢字で書くとややこしいな、実(み)ではなく実(じつ)はである。じつは葉を食べているのである。

 

週に一度水を入れ替え、付属の肥料を水に溶かす。あとはそこそこ日当たりのいいところに置いておくとすくすくと育った。子は親が思うよりしっかりしてるとはこのことで、多少の冒険はさせてもよかったかもしれない。はじめてのおつかいとか。枝豆という種族は細いながらもよく伸びる子で、葉の重みで茎が倒れるようになってしまった。実ほど頭を垂れる稲穂かなという言葉があるが、こいつは稲ではないし、まだ実なんか一つもなっていない。実っちゃいないのに、そもそも自分の体を支えきれずに倒れてしまう。まだまだ支えが必要な子供ということだろう、竹串で支えた。

 

育てながらふと疑問が生じる。植物にはおしべとめしべがあって、花粉を求める蜂なんかが受粉させてくれて実がなる、理科の授業で学んだ気がする。年頃だった私はすこしドキドキして学習していた気がするが、なんでだろう。バカじゃないのか。とはいえ、室内で育てているのに、実をつけるために蜂がきたらイヤである。お宅に受粉が必要な枝豆があると伺いまして、とかって言いながらインターホン押してきたらイヤである。そんな心配は杞憂に終わり、自家受粉という特殊な性癖を持つ種族らしく、勝手に実がなった。中学生よりも何かをこじらせてしまった36歳である。

 

すこしづつ実がなり、興奮していたのだが、後で気づくと大事な作業をしていなかった。摘心という作業。これ以上背を伸ばさずに横に伸ばし、そっちに実を多くならせる大事な作業だったらしい。これは完全に知らなかった。背なんて高い方がいいに決まっていると思っていたら実は対してならなかった。伸びはするけど、これ以上実はならないなあと思って収穫した。約2か月弱の出来事だった。

 

f:id:kimura_evkitty:20211013120828j:image

私の結晶は4房である。手塩にかけて育てたつもりだったが、ただ甘やかして育ててしまったのかもしれない。摘心なんていうチビをバカにしたような作業が必要だなんてしらなかった。伸びよう伸びようという子の気持ち、誰が邪魔できようか。それは私が親バカなのだろうか。ともあれ、収穫した数少ない枝豆たち。どうしてくれようか、やはり茹でて塩でいただくのがセオリーか。しかし、これしかない、選ばれたエリート枝豆、普通にいただいてももったいないかもしれない。少し考えよう

 

f:id:kimura_evkitty:20211013120834j:image

迷っていたら、全員逝ってしまった。どう料理してやろうという悩みから、どう悼もうという悩みに変わってしまった。食物を大切にしていないわけではない、SDGsとかすごい大切、その気持ちわかる。だから信じて、わざとではないのである。

 

結果、私は我が子のように育てた枝豆を断腸の思いで生ごみとして捨てた。本体というか蔓というか茎というかも生ごみとして捨てた。いわゆる火葬である。農業って本当に大変、難しい。冷凍枝豆食べながら思ったのである。

 

デアゴスティーニももちろん作れない系

    ブログランキング・にほんブログ村へ