リアル鬼ごっこ iPhoneを探せ
久しぶりにスマホを落とした。
2時間ほどの通勤時間を要する私は、通勤時、深夜ラジオを聞きつついつの間にか寝落ちするが乗換駅で起きる能力を手に入れている。
その日の朝も見事駅に到着しドアが開くプシューという音とともに目を覚ました。
適度に混雑している車内だが、常にドア横の座席をキープしている私にはたいした距離ではない。1すいません(会釈の回数の単位)程度で駅のホームにたどり着く。
ホームで体の異変に気づく。ポケットに私のiPhoneがないのだ。
反対側にはradikoでラジオを聞いているAndroidのみ。惰性で2台もスマホを持っているバカがここに。最近会社のスマホが追加されて3台持ち歩いている。
電車は無情にもドアを閉めて出発・・・なかなかしない。本当にポケットに入れたのか不安な私は鞄をガサゴソ、すべてのポケットをパンパン、Androidが2つ、ビスケットもiPhoneもない。
ホームで慌て始めるサラリーマンを不思議そうに見つめる車内の目、このまま戻ることもできる、が恥ずかしくて思考停止している間にドアは閉まり、発車していった。鉄道員の高倉健さんばりに電車を見送った。
とはいえ、私のスマホ紛失経験は1度や2度ではない。広辞苑で「紛失」を引くと私の本名が出ているくらいに無くすし、(気分的には)クワマンの次くらいにスられてる(現金を)(パチスロに)。
ベテラン紛失者の私、スマホなんてすぐ所在地がわかるこのご時世に慌てることはない。このまま会社に行ってPCで所在を確認してから考えようと判断した。
しかし今回は無念にも手帳型ケース入りのiPhoneであり、定期券もその中に入れてあった。
事情を話して精算することも考えたが、会社に間に合う必要性と説明する手間を天秤にかけて会社を遅刻する道を選んだ。
いや、遅刻理由できてラッキーみたいに思ってた。嘘ついた。
さて、自分のiPhoneを追いかける旅が始まった。5分後にやってきた後続の電車に飛び乗り全速力で前の電車を追った。正確には歩いて電車に乗ったし、全速力は電車の法定速度なり定時運行だとは思う。
その間にAndroidでiPhoneを探した。初めて2台持ちやっててよかったと思った。
誰になんと言われようと、紛失した時に役に立つ、と胸を張って言える。みんなもぜひ真似してほしい。
AndroidからiPhoneを探すのは初めてだったので電車にのりつつ検索をして以下のサイトを参考にさせてもらった。
通常Android端末からiCloudにログイン出来ないらしいのだがブラウザでPC版を見るを選択すれば可能であった。
ログインすると地図が表示され自分のiPhoneの位置が表示される。この時点では心の何処かに悪いやつに盗まれて海外に高値で売られるのではないか(iPhone7だけど)、とも思っていたが線路上にあると表示されたので一安心である。
5分遅れの電車は一生前を走る電車に追いつくことはない。誰か親切な人が降りる時に持って駅員に届けてくれるか、悪いやつがどこかに持っていくか、終点でゴミと一緒に回収されるか、全ての可能性を地図上で見守っていた。
突然地図上のポイントが線路から外れ、駅前の広場あたりで止まった。交番でもあるのかもしれない。
親切な人が駅ではなく交番に届けたのかもしれない、改札で事情を話さなければならないのは面倒だが、仕方ない。下車して改札に向かうと地図上のiPhoneが次の駅に移動してるではないか。
いい女かよ。
再度電車に乗り追跡する。終点がここから2時間とかだったらどうしようと思ったが、幸い次が終点だった。地図ではどうやら終点の駅構内のどこかにあるらしい。終点に追いついて宝探しのスタートである。世はまさにスマホ時代。
と思ったけど忘れ物センターみたいなところに普通に届いていた。届きたてホヤホヤだった。
忘れ物王に俺はなった。
(本音は本当に安心した。)
不健康は一日にしてならず
生まれて初めて健康診断でひっかかった。
尿酸値が高かった。異常に高かった。4.0~7.0mg/dlが正常の範囲らしいのだけれど(単位はわからない)私の叩き出した数値は9.0mg/dl位であった。偏差値で言うと70は越えてるのではないだろうか。難関大学。
その結果から、要注意、要検査をすっ飛ばしてまさかの「要治療」認定された。
そもそも尿酸てなんなのか。これまで幸運にも病気とはあまり縁のない生活をしていたのでよく知らなかったのだが、みんな案外尿酸高い。会社でもプライベートでも話してみれば「俺も俺も」の大合唱。これが不健康話しかしなくなる大人ってやつか。
聞いた話を総合すると、とにもかくにもプリン体ってやつが悪いらしい。
プリン体。名前から連想できるのは子供の大好きなスイーツかポケモンか、どちらにしろ可愛らしいイメージしかないのだけれど、成分としてのプリン体は穀物、肉、魚、野菜など食物全般に含まれ、主に旨みの成分ということである。
具体的にはレバーやビール、魚卵とかと聞く。昔は贅沢病なんて言われてたらしいが、平成も終わりが見えてきた今日において、人は誰も尿酸の高い食品と隣合わせで生きているのである。
尿酸値が高いとどうなるのか、それは健康診断の結果にしっかりと書かれていた。「痛風」になるらしい。
痛風。
風が吹くだけで痛いというアレである。痛いのは足の関節とかで、何かが溜まって固まって肥大化するらしい。
これが仮におチンチンの肥大化を招くとかだったら、怪我の功名とやらか、ふふってなるんだけど、痛いのはいやだ。
さらに痛風からさらに上級の腎臓結石という症状に昇格するリスクもあるので、冗談はほどほどにしておきたいと思う。おチンチンが痛いのはいやだ。
まだ使う可能性だってあるのだ。
余談になるがもうすぐ2歳半になる娘がトイレでニヤニヤしながら「チンチン!」と叫んだ時はめまいがしたものである。別居して久しいが、娘の成長を肌で感じた、そんなチンチンであった。
さて、健康診断の結果に要治療と記された私の元には、診断結果と一緒に紹介状なるものが入っていた。初めて手に入れた紹介状。
これがゲームであれば王への謁見が許され、攫われた姫を救ってほしいとか、復活した魔王を封じ込めてくれとか頼まれるのあろうけど、あくまで病院の紹介状。
大きな病院は準備せずに足を踏み入れると5000円くらいかるく持っていかれるらしいのだが、それが免除される。それだけである。逆にいうと、この紹介状、5000円の価値があるといっても過言ではないのだが、大黒屋でも換金できないので、難儀な世の中である。
病院に持っていく以外使いみちのない紹介状を引き出しの奥に封印して早3ヶ月が過ぎようとしている。でもいつ痛風が爆発してもおかしくないし、もっと大きな病気の引き金になる可能性があることはよくわかったので、早いところ病院にいかなければ。
どうせ食生活の改善と定期的な運動を言い渡され、クスリを渡されるんだろうけど。
聞いた話だと一度クスリを飲んだら一生辞められないらしい。人間辞めますか?クスリ辞めますか?状態である。
クスリ漬けにされるのすごいコワくていまだに病院に行けずにいたところ、気がついたら皮膚科にいた。
長年放置していたイボが爆発したのである。おかげで今塗りクスリ漬けである。
おとなしく紹介状を持って内科に行ってこようと思う。
飽くなき手帳へのあこがれとただの自己アピール
早いもので2017年も残すところあと僅か。師走というだけあって、右を見ても左をみても忙しそうにしている。
毎年この時期にやってくる自分の誕生日が申し訳なくてたまらない。みんな忙しいからお祝いをしてくれないのを、私自身気にしていないのに、悪いなぁと思わせてしまっているのが心苦しいのだ。
年の切り替わりということで手帳を購入した。はてなブログのトップページに手帳カテゴリがずっと乗ってていくつかの手帳の紹介を見ていて、ほしいなぁと思ったので購入してしまった。
私のデイリーユースのリュックの中には2015年の手帳が9割白紙で鎮座していた。用途も、社会人のくせしてメモできるものも持ってないのか、と言われた時の対策として開くためのもので、ドラマの小道具と同じ位置づけだった。
もともと刑事に憧れていていつ聞き込みに向かってもいいように購入したわけではないのだが、デジタルとアナログ、仕事とプライベートの切り分けができていない中途半端人間の私にはそれ以上の働きはできなかった。
今回こそはと、最近物忘れが激しくバッティングが続いた飲み会の予定だけでもスムーズに調整できたらと、高機能ではないぼちぼちの値段の手帳を購入した。
2年ぶりの手帳である。2年ぶりであるが、何回目だろう。正直なところ2年前が初めての手帳失敗ではなかったのは確実である。
過去のブログを漁ってみた。
文章の内容がひどいのはさておき、一番古い手帳への言及は2006年末。2007年の手帳を買ったことのようだ。
ついでに小学生のころ、高校生の頃、大学生の頃、それぞれ手帳を買っては本来的な使い方をできなかったことを面白おかしく伝えている。実に愉快だ。
2007年は本格的に(2回目の)就職活動をしていた時期なのでそれに備えて買っていたと思うのだが、面接が本格化する春先にはどこかに行ったような気がする。その甲斐あって、入社半年で潰れる会社に就職することができた。本当に手帳さまさまである。
その後入社した会社が潰れた翌年の2009年の手帳も買っている。2年ぶりである。
スタートダッシュに出遅れたものの、4月始まりという夢の手帳の存在をしり、手を伸ばしたようだ。
ブログのネタ帳にすると息巻いていたものの、当のブログを放置するのだから手帳も放置したのだろう。実に若気の至りである。
というわけで未成年の頃は覚えていないものの、就職活動の頃から数えて2007年、2009年、2015年と手帳に挑戦していた。今回も続かないかもしれないし、続かなくても仕方ないと思っている。無印良品の実にシンプルな1000円程度の手帳にしたので、挫折したとしてもそれは流行りが過ぎただけのことと心に言い訳ができる。
とりあえず、大切な日を忘れないよう、来月の6日に印を付けた。私と市川海老蔵の誕生日である。よかったらみんなの手帳やスマホのカレンダーにも入れておいてほしい。
私と(7年前の11月に暴行された)市川海老蔵の誕生日である。血液型と、当たり前だが星座が一緒の市川海老蔵の誕生日である。あちらは成田屋の御曹司、こちらは気分屋のせがれである。
思春期に陰毛がなかなか生えてこないと父親に相談した話
父親に思春期特有の悩みを相談していたというのは以前書いたとおりである。
今回は陰毛の話になる。
私は中学入学時点で身長150cm未満での小さい少年だった。「前ならへ」では高確率で腰に手を当てるタイプの人間であった。
そこからグングン成長期がやってきて、ということもなく現在自称170cm(くらい)の平々凡々、中肉中背、何の面白みもない30代男性である。
中学生は大きなイベント(林間学校に修学旅行など)、同級生と寝食をともにするイベントが盛り沢山である。
中学1年なんて、身長のばらつき以上に局部の成長にばらつきがあって当然なのだが、林間学校でクラスメイトの股間を目の当たりにしてショックを受けたのを覚えている。
局部の成長の差としては大きく2点ある。
毛が生えているかどうかと、剥けていいるかどうかである。
まず、毛、陰毛について。私の記憶が確かならば、陰毛はだいたい脇毛と成長をともにしていたきがする。産毛が生えてるなーと思ったら徐々に太く、黒く、長くなっていくものである。赤ちゃんの髪の毛みたい。
人間の体毛の一番汚れていそうな部分を一番清いものに例えてしまって申し訳ないが、観察日記をつけるとするとそうコメントするのが最適である。
次に剥けているかどうか。日本人の7割が仮性包茎という都市伝説を心の拠り所にしている男子中学生にとってズル剥けは憧れである。これがもう少し子供である場合、揶揄する対象であるからおもしろい。
宗教上の理由などで両親が判断し新生児の時点で切除した場合、子供のうちは「ムケチン」なんてあだ名で呼ばれることもあるが、成長するにしたがって大きな勲章になる。この皮についても徐々に剥けていくのだろうが、経験がないのでよくわからない。
ある日突然ドン!とワンピースの効果音とともに剥けるというのは考えづらい。
朝顔よりももっと時間をかけてゆっくりと成長するため、個人差がすさまじい。
林間学校の大きな風呂で、男子中学生たちの自分の陰部に対する動作は実に千差万別である。
頑なにタオルで隠し、湯船にまでタオルを入れるもの。湯船に入れて怒られるもの。股の間に挟み込んで本丸だけは守ろうとするもの。タオルを忘れたのかモジモジするもの。銭湯のじじいのように堂々としているもの。
風呂に入るだけなのに、なんでこうも違いがあるのかわからないが、成長が早いやつの方が以外に隠したりするのが中学生だった。
しかしクラスで一番体の大きい林は成長が早いなどの次元を越えていた。完成形と形容するしかないソレを堂々とぶら下げながら悠々と大浴場を闊歩する。知らない仲ではないのに、心なしかみなが道をあけていた。
林間学校の出来事がトラウマとなり、自分はなんて(股間が)子供なんだろうと頭を抱えた。当時陰毛も脇毛も生えていない私は父親に相談した。もじゃもじゃな同級生がいるのに私はまだ芽すら出ていないと。
父親は「まだ身長も成長するということ。股間が完全体になったら、それは身長含めて大人、それ以上大きくならないってことだ」と金言をもらった。
それを心の拠り所として股間の成長を観察し続けた結果、身長も毛も少しづつ成長して大人になっていった。今では身長は止まり、視力や筋力の衰えなど老化を感じるまでになっている。
皮はまだ動かざること山の如しなんだけど。お前一人でピーターパン症候群かよ。
何も知らないファッション論:時計編
最近は雑誌についてくる付録がものすごく豪華である。
ポーチ、リュックから時計、財布、万年筆セット・・・雑誌を買ってるのか付録を買ってるのかわからなくなってくる。
本屋で化粧品が買える時代になったのである。
デアゴスティーニみたいに合計何万とかかりながら、コツコツと書い続けてようやく完成する、一ミリも生活の役には立たないコレクションと違って、実用品がほとんどである。あ、ごめん、人生は豊かになる、デアゴスティーニ。大好きデアゴスティーニ。
そんな付録もほとんどが女性ファッション雑誌についてくるものがほとんどである。
女性はおまけに弱いのかもしれない。
一緒に御飯を食べに行っておまけに僕と付き合えるよ、なんて言ったらうまくいくのだろうか。うまくいこうがいくまいが、全国のいろいろな団体から抗議を受けることは間違いないだろう。おまけで炎上である。
そんな女性ファッション雑誌にばかりついている付録であるが、男性ファッション雑誌にもいくつか付録付きの雑誌がある。先日たまたま見かけた雑誌についていた付録の時計が気に入ったので思わず購入してしまった。
見てほしい、この高級感。重厚感。最近、ちょうどほしいと思っていたような時計を1000円未満というお手頃価格で手に入れてしまった。すごい世の中である。
実物をみた感想をいくつか。
軽い(付けた気がしない、まるでスマートウォッチ)(雑誌名もsmartだし)
文字盤のさほど重要じゃないところが目立ってる(というおしゃれ)
バンドがビニル製?(革っぽさをリアルに表現しててすごい)
と好き勝手書いたが、非常に満足している。だって1000円だし。気持ち的には1500円程度の買い物をした気分にすらなっている。
ただ、付録で気をつけないといけないのは、他人に気づかれることだ。あいつ雑誌の付録の時計つけてるって、いくら最近の付録の豪華になってきてるとはいえ30過ぎたサラリーマンが気づかれると恥ずかしさで顔面だけ真夏に逆戻りする。
smartという雑誌は中高校生の頃、ちょっとおしゃれに気を使いだしたあたりでたまに買っていた雑誌である。もっとおしゃれ上級者はメンズノンノとか読んでた。
当時は付録なんてなかなかついていなかったし、多分あったとしても、「いい匂いのするシール」程度な気がする。時の流れはすさまじい。
いつしかおしゃれの必要性に疑問を感じ、おしゃれの概念がよくわからなくなり、すべてを諦めてから長いこと経ったが、現在もきっと読者層は変わっていないだろう。男子中高生がメインで、半分以上が童貞と思って間違いない。
私の人生において中高生との接点など皆無である。学生時代、塾講師アルバイトをしていたときは指導していたし、電機屋でゲームソフトを売っている時も子どもたちはキラキラした目でゲームやDVDを買いに来たものだが、それも10年前の話。私自身が学生なのだから、何かあっても許されるだろう。無いけど。
しかし、家と会社の往復ばかりの現在。たまに仕事帰りに立ち寄るのは居酒屋ばかり。中高生なんて電車で見かける程度の距離感である。ラッキー。
この時計をしていてもいい大人は誰にも気づかれない。
と思って会社の近くでジャンプを立ち読みしていたら、なんと目の前にsmartが。表紙に付録紹介として当然のごとく大きな時計の写真が掲載されている、わたしの左腕にあるものと同じものが。
同じくジャンプを立ち読みしにきた大人がチラと時計を見た気がしたので目当てのものを読み終える前に、缶コーヒーだけ買ってコンビニを後にした。いい大人だから缶コーヒーを買う。
ジャンプを立ち読みしてるのも恥ずかしいのかもしれないと、今は思っている。
その後高校生に偉そうに何かを語る機会があったのだが、それはまた別のお話(とりあえず逮捕はされていない)。
思春期に乳首が痛いと父親に相談した話
目立った反抗期のない思春期だった。
ジャンプを母親に買ってこさせたり、壁に穴を開けたりしたことはない。壁が硬かったのと、わたしが非力なことも要因の一つかも知れないが。
父親には思春期特有の第二次性徴の相談なんかもしていた。
具体的に言うと、乳首が痛いと相談をしたことがある。
私には産まれたときから、見ても一向に興奮しないのに乳首という 会社の自分みたいに役に立たない部品が体についている。
中学2年生くらいのあるとき、乳首の内側にしこりがあることに気がついた。
気になりだすといじりたくなるのが人情というもので、家でも学校でも、暇さえあれば乳首をコリコリしていたものである。
私の乳首が初めて役割を持った瞬間である。
今で言うところのハンドスピナーの位置づけに乳首がなるにつれ、しこりはその存在感をまし、若干の肥大化を続けていた。
中学生の当時、私はスラムダンクに影響されたバスケットボール部に入部した。それまで5年間続けていたサッカーをレギュラーが取れなそうだしとあっさり裏切って入部した。
サッカーのレギュラー11人に対してバスケットボール5人、当時から算数は苦手だった。
乳首のしこりはバスケットボールに大きな影響を与えることになる。
バスケットボールのパスの基本は相手の胸をめがけてボールを送る動作からチェストパスというのだが、手のひらで取り損なうと胸に直撃する。
ゴール下は戦場だという言葉があるが、低身長でゴール下に行くこともなけいのに、相手と接触することもないのに、味方からのパスで、私は戦場に散った(死因・乳首爆発)。
そんなことがあって、父親に相談をした。
父親は気持ち悪がらず話を聞いてから、自分の若い頃なったとカミングアウトしてきた。父親の話から聞いたこの症状の概要が以下である。
思春期に起こりがち、そのうちなくなる、白い液体が出ることもある。
友人にも共有していたが、最初なかなか理解されなかった。算数どころか保健体育も知らないんだな、わけの分からないことばかり言いやがって、と思われていたろう。
私自身、父親を信じれなくなるわ、自分の乳首を呪うわ、散々な生活を送った。
しかし数ヶ月後、友人のうちの一人がこっそりと、自分も発症したと伝えてきた。
そこでようやく父親信頼は回復し、乳首は生存することが決まった。奈美悦子には申し訳ない。
友人と私はこの症状を「ちくつう(乳首痛)」と呼んで、できるだけ優しくパスし合っていた。他のやつらも発症しろと呪ったものの、悲鳴は聞こえてこなかった。いつしかしこりと痛みはなくなっていった。
後になって調べてみたら、思春期乳腺肥大症と呼ばれ、男子中学生の何割かに起こるということでいろいろ納得したんだけど、白い液体は一切出なかった。
今思えばそれっておちんちんからでるやつじゃないかな。
サウナのチャンネル争いは悲しみしか生まない
サウナが好きである。
まだまだ素人の域を脱してはいないが、以前は月に1,2回のスーパー銭湯で、今は週1回のスポーツジムで、たまにカプセルホテルで、サウナと水風呂の交互浴を楽しんでいる。
昔は水風呂なんて入る人の気がしれなかったが、今となっては水風呂がなければサウナじゃないじゃん、とさえ思っている。
そんなサウナだが、最近はどこの店でもテレビを備え付けていることが多い。
ただひたすら12分計を眺めたり、砂時計とにらめっこしたり、熱源を見続けることで自分の目がサーモグラフィになることを想像しているだけだと、5~10分を何回も繰り返して楽しむことはできない。
同行者がいるなら話(いつ衆院選に出馬するのか)に花を咲かせることもできるが、あいにく私は一匹狼、サウナの中で一人でぶつぶつ(次の4大ドームツアーの構成を)つぶやいていたら通報されたり、焼け石を投げつけられかねない。テレビがあってよかった。
テレビは爆発の恐れがあるのでサウナ内部に置いてあることはまずない。透明なガラスで隔てられたサウナ室外に設置されていることがほとんどである。音声もきちんと聞こえる。
そこで問題になるのがテレビのチャンネル権である。ご存知のようにテレビには放送局が、リモコンにはチャンネルがつきものである。
食卓で好きなテレビ番組を見れないというチャンネル権問題は深刻な問題ではあるが、一人暮らしをして初めて、幸せな問題だったなと感じる、そんな出戻り息子32歳。
しかし、サウナのテレビのチャンネル権は深刻な問題のままである。
これまでの経験で店によりいくつかのパターンがあることがわかっている。
1つ目はチャンネル固定型である。
これは365日ずっと同じ放送局しか流さないパターンでどこかお金の匂いのする仕組みである。
出会ったことはないが、Eテレ固定のサウナとか、放送大学固定のサウナとかあったら回転はすごく早いと思う。もしくはサウナの中で寝だすやつとかいると思う、死ぬぞ。
ないとは思うが、リモコンが壊れて、本体のボタンも操作できない状況だったらと想像すると笑える。ボリュームの大しか受け付けなくなったら悲惨だなとか、テレビデオからAVが取り出せなくなった学生時代の記憶を思い出した。
2つ目はリモコン提供型。
先日のカプセルホテルもそうだった。客にチャンネル権を委ねる方針で、放任主義みたいなものである。
リモコン本体をサウナ内部に置いておくとチャンネルを変更する行為自体が男塾の競技になりそうなくらい熱くなるから入り口近辺においてある。
そして決まって注意書き「他のお客様にご配慮してお使いください」などと書いてある。
このご時世、見知らぬ人とのトラブルがいつ起きてもおかしくない。さすがに裸同士、凶器をどこかに隠し持っていることはないだろうが、急所は丸わかり(丸裸なので)、キックボクシングの経験者なんかとトラブルになったら、金玉の一個や二個は覚悟しなければならない(金玉の上限は多くの場合二個である)。
つまり、チャンネルを変えるのはサウナに誰もいない時、もしくは全員の了承をとってからになる。全員の了承をとってるうちに人の出入りがあったら、大変である。果たして、誰が新しく入ってきた人か見分けがつくだろうか、難易度は高い(全員丸裸だから)。
どちらにせよ難易度が高いので、殆どの人が遠慮がちになる。その結果、誰もいない時、もしくは開店直後の店員がEテレにしてたら、Eテレ固定のサウナになってしまうわけである。誰かが変えろと思ってもトラブルを嫌う事なかれ主義の丸裸日本男児たちが、そろってEテレを見ているのである。
お父さんといっしょとかみているわけである(息子丸出しで)。
最後がオートチャンネル変更型である。
裏側から店員が、もしくはタイマーで自動的に、人気番組を勝手に選局する仕組みである。ある意味平和的ではあるが、店員のセンスに委ねられる部分が大きい。
Eテレ好きな店だったら、おっさんたちが並んでお父さんといっしょをみることになるわけである(息子丸出しで)。私はEテレ最高だと思っているのでNHK関係者の方には誤解されなきようおねがいします。
以前スーパー銭湯でこのオートチャンネル変更型の弊害に遭遇したことがある。
その時の店のチョイスはNHKで大相撲をやっていた。時刻は6時手前、もうすぐ結びの一番、横綱白鵬が優勝に近づくのか、注目の一番である。
時間いっぱい待ったなし、はっけよい残った残った、がっぷり四つになって長引きそうだ。さあどうなるどうなる、と思った瞬間、チャンネルが勝手にプロ野球中継に切り替わった。タイマーが少しズレていたのだろう、相撲の結果はわからずじまいである。
サウナにいた全員が、テレビに向かって「おいっ!」と突っ張りではなくツッコミを入れていた。(丸裸の)おっさんたちが一つになった瞬間である。